| 悲しいときにプレゼント 昨日の夜、海外のサイトで買い物をしていました。でも、なぜか上手くいかないのです。ショッピングシステムがおかしいのだと思いますが、入力した私の情報が途中で変わってしまうのです。一度注文をキャンセルしました。 気を取り直して再度挑戦。すると、有効期限が10月31日までという5ドルのクーポンがもう使えなくなっているではないですか!私、まだ使ってないのに。 こんなとき語学が堪能なら、すぐ抗議できるけど、もう眠くもなっていたので、ショッピングは中止。悲しい気持ちでベッドに入りました。 |
|
![]() |
寝不足と買い物ができなかったこととで、しょんぼりしていたら、プレゼントが届きました。 |
こちらはスノーマンのキャンドルです。 |
![]() |
| 天才うじゃうじゃ ある女性マンガ誌に「去年は『アメリ』が話題になったけど、今年はコレが映画界の台風の目!」ではじまる短い映画紹介の記事がありました。11月末に公開される『8人の女たち』のことです。 記事はさらに「フランスが誇る天才監督フランソワ・オゾンが作ったのは、歌と踊りで綴る見たこともない密室殺人劇」云々と続きます。 キャストの豪華さやミュージカル仕立ての凝った演出があってのことかも知れませんが、この作品は公開時のフランスにおいて、『アメリ』を超える記録を打ち立てた(観客動員数?興行収入?)という話題作であるのは事実でしょう。でも、「フランスが誇る天才監督」ですか‥‥。 この紹介を見るや「話題作を何本か撮った程度で『天才』ならば、映画界は天才だらけ。もう、うじゃうじゃ状態だね」と、ここ数日の寒さで機嫌のよくない夫。「学術や文化のあらゆる分野をあわせたところで、天才なんて100年でせいぜい一人か二人現れるくらいの存在でしょ。たかだか歴史が100 年を越えたばかりの映画の世界で『天才』だなんて、洒落や冗談ならともかく、言葉を知らない」と容赦ない物云いです。 私が書いたんじゃないのにいじめないで、と思うのですが、たしかに彼の言い分にもうなずける点はあります。おまけに映画はいわば共同で制作する作品なので、ひとりで天賦の才にまかせて制作するというのは難しいのではないでしょうか。天才が発揮できにくい分野と言えるのではないかと思います。 |
|
| もし、見渡した時に右も左も天才だらけの世界だったら、面白いかもしれないけどブキミです。 ストレンジラヴ博士(『博士の異常な愛情 /または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』みたいな人が周りにいっぱいいるのって、私はやだなー。あ、違う?あの人はマッドサイエンティストで、天才って言わないか。 |
![]() |
| 半眼の彼方へ 目をなかば開くこと。また、その目。ある辞書による「半眼」の定義です。たしかにその通りではあるのですが、残念ながらこれは私の(あるいは私たちの)求めている答えではないのです。 たとえば、半眼のイメージにかさねて仏像を思い浮かべる方は多いでしょう。あるいは、それは(最近ではあまり見かけませんが)時代劇に登場する剣豪や古今の老獪な政治家の目を半眼と考える方もいらっしゃるかも知れません。 けれども、こうした個々のイメージがあるにもかかわらず、半眼についてわかったようなわからないような気がするのは、それが感情や知覚の具体的な反映というものではなく、心的な作用を含んだ状態(現象)だからなのではないか、ということに思い至りました。 では、その半眼とはいったい、どのような状態をいうものなのでしょうか。 その状態を知るためには、まず半眼を体感してみましょう。座禅やヨガをなさっている方ならば、簡単かも知れませんが、その具体的な実践方法は、「すわるにはどうするか」(臨済禅・黄檗禅の公式サイト)というページが参考になると思います。写真の付いた解説がありますので、どうぞ。 さて、何が見えますか? 眼を見開かず、さりとて閉じてもいないという状態を続けていると、だんだん自分が覚めているのか眠っているのか分からなくなってきます。意識がふっと消え入り、私の身体と周囲との境界が不分明となるような奇妙な感じがします。一瞬、可視の領域が私の背後にふわっと広がるようでもありました。けれども、何が見えるかというと、特に何も見えるわけではありません。見えているけれど、見えていないのです。 「半眼でトイレをするといいんだよ」と私が話すと、夫は「まるで半眼の伝道師だね」と笑っています。私が書棚の『洛中巷談』(河合隼雄・杉本秀太郎・山折哲雄・山田慶兒共著:潮出版社刊 ※現在は入手不可)所収の「〈半眼〉の思想」という文章を読んでいたのを知っていたのです。 そこで最初に取り上げられているのは、半眼の涅槃像です。開眼、閉眼の像と比べた時にそれはどのような意味を持つのか。そんな疑問から考えはじめて、この半眼は「生でもない、死でもない、あるいは生でもあり、死でもあるという二重の世界を表現するうえで、実に何とも言いようのない効果を上げている眼のあり方」ではないかと思うようになる。そして「何か深い、特別の世界を表現しようとしてつくり出された」この半眼のまなざしには、「世界の部分と全体が同時に映っているのではないかという気もしてくる」と続けるのです。 さらに「半眼の状態で座禅をしていると、次第に世界の全体が見えてくる。それが仏の眼であ」るという「ずっと禅の修業をしてきた」日本人のカトリックの神父の言葉を引いてこういっています。人は眼を開いている時は視覚を、眼を閉じている時は聴覚を働かせるけれども、半眼はそれらを同時に働かせることになって「そういうものの見方、感じ方ができる状態」である。こうした時にこそ、自分の姿が上方から見えるとか、その自分の周りを取り巻く環境の中心にいる「自分の姿が全体として見えてくる」と。 先に私は「可視の領域が私の背後にふわっと広がるよう」と書きました。あるいはこれが「全体」が見えかかった瞬間なのかも知れません。残念ながら、それは一瞬のことでしかなく、またその感覚をコントロールすることもできません。でも、もしかして修業が進むと、自在に半眼を操れるようになり、やがては「全体」をも見通せるようになるのかも。 昨日引用した本には、「半眼になり力を抜」くことは、自分の中の変化のきざしを正確にとらえるため、と説明されていました。トイレにおける「行為」のいっさいをきちんと把握し、的確にいきむため(もちろんコトの成就のためにも)、やはり半眼は有用なのかも知れません。もっとも彼は、半眼を意識するあまり、かえって落ち着かない気持ちになってよくない、などと身も蓋もないことをいっているのですが。 |
|
| 半眼で臨むトイレ マラソン大会が行われた日曜日の朝、身支度を整え会場に向かいます。ほとんど絶望的な運動能力の私ですから、もちろん出場するというのではありません。仕事なのです。長い待ち時間に、ひなたぼっこをしながら読書。久しぶりにたっぷりお日さまを浴びることができました。 さて、そこでの話です。 会場のすぐ近くに体育館がありました。その日は競技の参加者が更衣や休憩などに使えるようにと開放中。中をのぞいた私が人の流れに添って移動してみると、そこにはトイレがありました。新しい建物なので、トイレもきれいです。 これは良いと入ろうと思ったのですが、床も履き物も水浸し!びしょびしょになっているのです。清掃直後のようでしたが、これでは入る気になれません。まるで夢に見るトイレの「できない!」状況そのままです。 私に切実さはなかったので、なるほど実際にこういうこともあるのかと、その場をしばし眺めていました。気の毒なのは後からやって来た子どもたちです。口々に「どうしよう」といっていますが、どうしようもないのです。「出発の時間になっちゃうよー」とあせって、結局「もういい!」と次々と濡れている履物に足を入れています。 たぶん、冷静だったおかげでしょう。一人入り口に残された私は、乾いた履き物を発見。おかげで足は濡れずに済みました。 トイレでは、あせってはいけないのです。以前読んだ本に、朝のトイレでは(たいていの場合は朝でしょう)、いたずらに力を入れてはいけない、と書いてありました。「無闇にいきむな」と。デリケートな部分に長時間大きな力をかけると壊れてしまう、ということですね。 その本によれば、200mmHgもの力をかけることになり、脳の血管ならいつ破裂してもおかしくないほどの圧力、ということだそうです。それほど激しい圧力が、身体の出口の血管にかかるのです。どうなるかは申し上げるまでもないでしょう。 とにかく重要なのは、あせらないこと。Let's be cool. その本では更に続けて、「半眼(はんがん)になり力を抜いて」というアドヴァイズがありました。でも、半眼って難しいですよね。 |
|
| 消費税は時計だ 今朝のことです。ある37歳の男性の投書を読んで、うなってしまった私でした。そこにあったのは、「消費税・時計の法則」! それによると、「お釣りの計算が好きな」小学2年生の息子さんが、買物の最後に加算される消費税(現行5%)の説明を受けて、「消費税は時計だ」と言い出したというのです。もちろん、既にお気づきの方も少なくないのかもしれませんが、私にはたいへん斬新なことでした。 その「発見」とは、時計の短針が指す時刻を商品の本体価格(消費税抜きの値段)とすると、その「短針を長針に置き換え」た「長針の示す分の時刻」が消費税額になる、というものです。 たとえば、300円の商品を例にとればこういうことになります。時計の3時の位置に長針があると、時刻は15分、つまり消費税は15円です。 同じように700円の商品ならば、時計の7の位置に長針があるのは35分ですから、35円というわけです。ね?すごいですよね。 試しに、もう少し半端な値段を考えてみましょう。650円の商品ではどうでしょうか? この場合、6 1/2時=6時半の位置ということになります。そこに長針があると、32.5分ですので、消費税は32.5円。計算してみても、650×0.05は、確かに32.5です! ひとしきり感心してから、ではなぜそうなるのかを考えてみました。数学がキライでできなかった私には、すぐにはわかりません。時計の長針は60進法で、短針は12進法だから、えっと、公約数が5だからかな?あれ?違うぞ。公約数じゃないか。 やっとわかりました。60を12で割ると5だからですね。 こんなことが直感的にわかるなんて、ほんとすごいなー。 |
|
|
2002/10/28
|
|
|
▲ このページのトップに戻る |
|